大義塾の歩み

大義塾の歴史

初代塾長:中村 藤吉

初代塾長の中村藤吉は京都武徳会での修業を終え、ソウルを皮切りにハワイ、北米へと渡り剣道を広めました。 そして昭和12年に帰国し、杉並区本天沼に剣道道場「大義塾」を開き、青少年の指導にあたりました。 彼の剣道は長男の太郎・次男の藤雄へと引き継がれていきました。

第二代塾長:中村 太郎

第二代塾長となった太郎は、大義塾・国士舘大学で修行を積み、神奈川県警察にて更なる技術向上を目指しまし た。昭和30年及び34年の全日本剣道選手権大会にて優勝をおさめました。彼もまた藤吉と同様に青少年への 剣道指導に注力しました。 しかし、太郎は病のため47歳の若さで逝去しました。

第三代塾長:中村 藤雄

大義塾は次男の藤雄が第三代塾長となり、太郎の子供たち及び多くの指導陣と共に、青少年の指導にあたりました。

(三女の圭江は世田谷支部長として子供たちの指導に努めています)

現代表:中村 和己

現在は中村太郎の次男和己が責任者となり、大義塾の長い歴史を引き継いでいます。